俳優として数々のドラマや映画に出演し、大活躍の坂東龍太さん。
CMや舞台にも出演し、大人気ですよね。
そんな坂東龍太さんですが、どうやら少々変わったお父さんをお持ちのようです。
気になりますよね。
そこで今回は
- 坂東龍太さんのお父さんはどんな人?
- 坂東龍太さんのお父さんの職歴は?
- 坂東龍太さんのお父さんの教育方針は?
と言う点について調査していきたいと思います。
それでは早速本題に入っていきましょう。
坂東龍太の父はどんな人?
数々のTVドラマや映画に出演し、俳優として大活躍の坂東龍太さん。
坂東龍太さんのお父さんは一体どんな人なのでしょうか。
まず、坂東龍太さんはお父さんについてこんな風に話しています。
父はとにかくヤバイ、破天荒!
出典:vivi
自身のお父さんについてはっきりと「破天荒!」とおっしゃっていますね。
どんなところが破天荒なのでしょうか。
坂東龍太の父の職歴
坂東龍太さんは自身のお父さんについて「破天荒!」と語っています。
まずはお父さんの職歴から見てみましょう。
映画監督を目指しカリフォルニアへ
坂東龍太さんのお父さんは19歳の時に映画監督を目指してカリフォルニアに行ったそうです。
映画監督を目指していきなり渡米するとは、すごい行動力ですね。
カリフォルニアでは色々苦労があったのでしょうか、結局映画監督は諦めたようです。
映画監督を諦めた理由については坂東龍太さんも「何故か諦めて」と言っているだけなので、詳しく話してはいないようです。
ニューヨークで技工士の会社を設立
映画監督の夢を諦めた坂東龍太さんのお父さん。
その後はニューヨークで技工士の会社を立ち上げたそうです。
技工士というのはおそらく「歯科技工士」のことだと思われます。
西海岸のカリフォルニアから東海岸のニューヨークまで大移動していますね。
そして、映画監督から技工士へと、移動の規模も職種の転換もスケールが大きいですね。
ちなみに、ニューヨークで仕事をしているときに、同じくニューヨークで陶芸教室をしていた奥様と結婚し、坂東龍太さんらお子さんに恵まれたそうです。
その後何年かはわかりませんが、しばらくはニューヨークで暮らしていたそうです。
坂東龍太さんは「2歳の時にNYで盆踊りをした」と話しているので、その頃まではニューヨークにいたようですね。
自給自足生活のため北海道へ
ニューヨークで技工士の会社を経営しながら数年暮らした後、今度は「農業しようぜ!自給自足だ!」と北海道へ移り住んだそうです。
そして5年かけて家を作り、現在は自然農法を取り入れ、ワイン用の葡萄栽培を行っているそうです。
カリフォルニアやニューヨークといった大都市での生活から、いきなり北海道で自給自足と、ここでも大転換をしていますね。
思ったこと、やりたいことに積極的に取り組める行動力がすごいですね。
以上が坂東龍太さんのお父さんの職歴だそうです。
取り組む職種も、滞在する土地も多種多様でダイナミックさを感じます。
確かに実の息子に「破天荒」と言われるだけのことはありますね。
坂東龍太の父の教育方針
かなりダイナミックな職歴をお持ちの坂東龍太さんのお父さん。
では坂東龍太さんは、そんなお父さんにどのように育てられたのでしょうか。
学校は個性を活かすシュタイナー教育
まず坂東龍太さんは小学校から高校までシュタイナー教育の学校に通っていたそうです。
シュタイナー教育とは「子ども一人ひとりが最大限に能力を活用できるよう、個性の尊重を重視した教育法」だそうです。
それによって坂東龍太さんはテレビやゲーム、インターネットに触れることが禁止されていたようです。
お父さんは葡萄栽培も自然農法を取り入れているので、そういった自然に則った考え方をお持ちなのかもしれませんね。
ちなみにお父さんは映画好きだったこともあり、坂東龍太さんが中2の時に「映画は良いんじゃないか」とのことで、映画鑑賞は解禁されたそうです。
しかし、映画を借りるのは週に1回で、お父さんが選んだものを見ることが多かった様です。
お父さんは黒澤明監督のファンだそうで、黒澤作品は全て見させられたそうです。
もしかしたら、この映画鑑賞が坂東龍太さんが役者になったことに影響しているかもしれませんね。
上京時にお父さんに言われた言葉
坂東龍太さんが役者を目指し東京へ行くと決めた時、お父さんにこんなふうに言われたそうです。
「東京に行っても役者になんかなれない。でかい壁にぶち当たって粉々になって、お前も畑を耕すんだ!」
出典:vivi
夢を追いかける息子にかける言葉としては、なかなか厳しい言葉ですね。
しかし、これが坂東龍太さんにとっては良かったようで、「絶対役者になってやるわー」と、真剣に取り組むことができたそうです。
以上のように、TVやゲーム、インターネットが禁止であったり、息子の門出に厳しい言葉を言ったりと、厳格に育てられたように感じますよね。
しかし、坂東龍太さんは、こうも言っています。
「学生時代にはちょこちょこ留学したり、海外に行く機会があった。」
「イタリアでフリーハグをしたこともあり。」
意外と自由に、やりたいことをやっていたようにも感じますね。
お父さんもやりたいことを積極的にやるタイプだったので、坂東龍太さんにも抑制的ではなかったのではないでしょうか。
上京の時にも厳しいことは言っていますが、決して役者を目指すことに反対はしていませんよね。
私の想像ですが、シュタイナー教育もその後の言動も、坂東龍太さんの個性や、好奇心を尊重できるような教育方針だったのではないかと思います。
その結果といえるかどうか、坂東龍太さんは今でもカメラやボクシング、絵画などの創作活動まで幅広い趣味をお持ちの様です。
充実していそうですよね。
坂東龍太さんの現在を見ると、結果的にとても良い教育環境だったと思えます。
まとめ
俳優としてたくさんの作品に出演し、大活躍の坂東龍太さん。
今回は坂東龍太さんのお父さんが個性的な方だということで、お父さんについて調べてみました。
坂東龍太さんのお父さんは
- カリフォルニアで映画監督を目指す。
- ニューヨークで技工士の会社を立ち上げる。
- 北海道でワイン用の葡萄栽培をする。
- 教育は一見厳しそうに見えるが、子供の才能を十分に伸ばすような教育をしている。
- といったお人柄でした。
俳優として、TVドラマや映画、舞台、CMにと大活躍の坂東龍太さん。
今後も活躍を続けて欲しいですね。
それでは今回は以上です。
ありがとうございました。
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